前回の記事では、インフルエンザで私(夫)が隔離されたときの工夫を紹介しました。
隔離はうまくいき、子どもや妻に病気をうつすことはありませんでした。
でもその裏で──妻は「地獄だった」と語っていました。
「なぜ私ばかりになるの?」
「病人の世話まで私がやるの?」
この記事は、そんな妻の本音を聞いてみた記録です。
妻は「しかたない」と理解していたものの、辛さと怒りを抱えていました。
それを聞いたことで、僕自身が「どう備えるか」を考え直すきっかけになりました。
妻の不満をさらすためではなく、夫婦で備えるためのヒントとして、今回は書いてみます。
双子育児+病人の世話。妻は限界だった
「感染しないように気を張りながら、子どもたちの世話と病人の食事、そして自分のことまで全部やるのは本当に限界だった。気持ち的にも、体力的にも泣きそうだった」
「食事をして食器を洗う時間すら惜しくて、食事量も減ったし、化粧をする余裕もなく、鏡を見る気力もなくて、ただただ回すだけの毎日だった」
- 食事、寝かしつけ、洗濯、掃除──すべてが突然ワンオペに
- それに加えて、感染者(私)の食事の準備・運搬・片付けまで追加
- 妻は、感染リスクを抱えながら、育児と病人の世話を同時にこなすという“張りつめた日常”を過ごしていた
- そしてその間、妻は自分の時間をどんどん削るしかなかった
連絡が来るたびに、何をするか考えて動くのがしんどかった
「感染者からのLINEの一文が、毎回『次にやること』として頭に積み重なっていった」
「最初は仕方ないと思っていたけど、それが続くとイヤになってくる。自分でやってよって、何度も思った」
「正直、LINE連絡がゼロが理想だった」
- 妻は、育児と家事に追われる中で、私からのLINEに対応するたびに頭の中で段取りを組み直し、行動を調整する負担を感じていた
- 「お茶がほしい」「ご飯はいつ頃」──その一言が、新たな“やらなきゃいけないこと”としてのしかかっていた
感染者の私は、部屋に閉じこもる必要があり、妻に頼むしかできなかった。
申し訳ないと思いながらLINEを送っていたが、その「お願い」は、実際に動く妻にとっては重かった。
今回のヒアリングで、私はそれをはっきりと理解した。
そして何より──
妻が手伝ってくれるのが当然だと思っていた自分の意識こそが、負担の根源だった。
「助けてもらう前提」ではなく、「助けなくても済むように準備する意識」が必要だったのだと、今は思う。
「意識より、行動してほしかった」
「例えば、水筒を1個じゃなく、私(妻)のも使うとかしたら、LINE連絡は減ったはず」
「“ありがとう”って言われても、体力的なしんどさは回復しない」
「食事も、片づけをあなたがやれば、私は楽だった」
妻は、気遣いの言葉よりも、具体的な行動で負担を減らしてほしかった。
「助けてもらう前提」ではなく、「助けなくても済むように準備する」ことが、妻にとっての理想だった。
インフルエンザで隔離されている間、私にできることは限られていました。
でも、だからこそ──感染させないようにしながら、自分だけで完結できる家事を探すことが必要だった。
例えば:
- 使用済みの食器を、妻がお風呂に入っている間に洗っておく
- 連絡を減らすために、水筒や備品を部屋に持ち込んでおく
- 自室のゴミを自分でまとめておく
- タオルや衣類を分けておいて、洗濯の手間を減らす
ほんの少しの工夫でも、妻の負担を減らすことにつながる。
それが、今回の経験で得た一番の学びでした。
🧭 まとめ:妻の負担を「想像し、計画する」ことが最高の対策
夫が病気で隔離されると、妻には「終わりのない育児」「感染リスク」「病人の世話」が一気にのしかかります。
それは、体力だけでなく、頭も気持ちもずっと張りつめたままで、休まる時間がなくなっていきます。
だからこそ、夫婦で元気なうちに話し合っておくべきなのは──
- 夫が倒れたとき、妻だけに負担が集中しない“代打体制”を決めておくこと
- 祖父母などにも「いざというときはお願いするかも」と伝えておくこと
そして、隔離が終わったら、「ありがとう」だけで終わらせず、妻の苦労をねぎらうように、行動で返すこと。
それが、妻の心を救う一番の回復策だと、私は今回の経験で学びました。
この体験が、誰かの備えや気づきにつながれば幸いです。
そして、この記事を読んだ方が「うちも話し合っておこうかな」と思ってくれたら、何よりうれしいです。