〜“任せても大丈夫”が生まれた一日〜
「今日は安心して仕事に行けたよ」
妻がぽつりとこぼしたその一言に、僕は思わず手を止めた。
それは、これまで積み重ねてきた行動が、
ようやく“信頼”という形で返ってきた瞬間だった。
前日の夜:準備は“安心”のスタートライン
娘が熱を出してしまった。
翌日は、妻が変更できない仕事があるため、僕が娘の看病を担当することになった。
息子は元気だったので、二人で話し合い、保育園に連れていくことにした。
前日の夜に、病院に行くかどうかの判断基準を妻と再確認。
- マイナ保険証と母子手帳の保管場所をチェック
- レトルトや冷凍ごはんの場所をメモ
- 薬の種類と飲ませ方を写真で記録
「明日、妻が安心して出勤できるように」
そう思って、前日の夜から準備を始めた。
妻と一緒にやることで、妻の安心感が高まっていったのがよかった。
当日の朝:妻の“表情”はいつも通りだった
妻はいつも通り仕事の支度をしていた。
息子と一緒に妻が出ていったあと、僕はすぐに娘のために行動を開始した。
- 朝食を用意し、食器を洗う
- 洗濯機を回し、干す
- 掃除機をかけ、加湿器の水を替える
- 娘が遊びやすいように部屋を片づける
もちろん、娘はぐずったり、泣いたりもした。
でも、時間がかかってもいい。全部をちゃんとやる。
それだけを意識して、丁寧に過ごした。
昼:判断に迷ったけど、“自分で決めて、伝える”
昼前、娘の熱が少し上がった。
でも、ぐったりはしていない。咳と鼻水だけ。
事前に決めていた「行かない基準」に当てはまっていたので、様子を見ることにした。
それでも、病院に行くかどうか迷ったときの不安はあった。
でも今回は、妻にLINEで聞くことはしなかった。
代わりに、午後になってからこう送った。
「今日は病院行かずに様子見してるよ。今はお昼寝中。熱は38.5だけど元気そう」
それは、報告というより、子どもの様子を共有するための連絡だった。
妻から返事があり——
「分かった。何かあったら言ってね」
その言葉に、僕は自分が間違っていないと安心した。
夜:妻の一言と、僕が感じた“妻の偉大さ”
仕事から、息子を連れて帰ってきた妻は、娘の顔を見て、そっと抱き上げた。
「熱はどう? お父さんと楽しく過ごせた?」と娘に話しかけたあと、僕のほうを向いてこう言った。
「今日は安心して仕事に行けたよ。ありがとう」
その言葉を聞いたとき、僕は少しだけ胸が熱くなった。
でも同時に、こうも思った。
「これを毎回、子どもが病気になったときにやっていた妻って、すごいな」
看病しながら家事を回すことの大変さ。
子どもの体調を見ながら判断するプレッシャー。
そして、誰にも頼らずにやってきた妻の姿。
僕が“全部やってみて”初めて、妻の偉大さを痛感した。
まとめ:「任せても大丈夫」は、奇跡じゃない
この日、僕は特別なことをしたわけじゃない。
ただ、前日から準備して、当日を丁寧に過ごしただけ。
ドタバタでも、時間がかかっても、全部をちゃんとやった。
それだけで、妻の表情が変わった。
そして、僕の中でも何かが変わった。
「任せても大丈夫」と思ってもらえること。
それは、奇跡じゃなくて、日々の積み重ねでつくれるものなんだと思う。