〜“頑張ってるつもり”が空回りする瞬間〜
「何もしてないじゃん」と言われた衝撃
娘が熱を出した日、僕は迷わず有休を取った。
前回の在宅勤務では、仕事も看病も家事も全部中途半端になってしまって、妻にも迷惑をかけたから。
「今度こそちゃんとやるぞ」と思っていた。
でも、その日仕事から帰ってきた妻が言ったのは、冷たいひと言だった。
「何もしてないじゃん」
「今度から、子どもが病気ならわたしが休むね」
正直、ショックだった。僕なりに頑張ったつもりだったのに。
でもその言葉の裏には、妻の「この人には任せられない」という不信感と、
「もう自分がやるしかない」という諦めがあったことに、後から気づいた。
看病してるのに、なぜ妻は不満だったのか?
その日、娘は鼻水と熱でぐったりしていた。
僕は娘のそばにいて、絵本を読んだり、鼻水を拭いたり。
「パパ、かまって」と言われるたびに、有休にしてよかったと思った。
娘がおもちゃに集中している間に、掃除や洗濯もこなしていった。
でも、問題は昼が近づいたころからだった。
- 妻が準備していたご飯を食べて、おかわりを要求された。レトルト商品があると聞いていたが、場所がわからず妻にLINE。
- 飲み薬が複数あり、どれを飲ませていいか自信が持てず、妻にLINE。
- 昼寝前に熱が上がってきた娘を前に、病院に行くべきか判断に迷って、さらにLINE。
何度も何度も、妻に連絡してしまった。
そのたびに、仕事中の妻のスマホが鳴る。
「ごはんの場所ぐらい覚えておいてよ」
「薬は朝説明したでしょ」
「仕事中なのに、指示出しばっかり…」
妻はきっと、そう思っていた。
そして、心の中ではこういう板挟みに苦しんでいたのかもしれない。
妻の“心の板挟み”と、静かな諦め
妻はその日、朝に薬の種類や飲ませ方を丁寧に説明してくれていた。
レトルトの場所も、何度か話してくれていた。
でも僕は、昼になって「どれを飲ませればいい?」「ご飯どこ?」とLINEを連発してしまった。
妻の頭の中には、こんな葛藤があったのかもしれない。
- 母親として:子どもの体調が心配。ちゃんと看病されているか気になる。
- 働く女性として:仕事に集中したい。キャリアも守りたい。
- 妻として:夫に任せたい。でも、任せると不安が増える。
この「母親・仕事・妻」という三つの役割の間で、
妻はずっと引き裂かれるような気持ちだったんだと思う。
そしてその苦しさが、「今度から、わたしが休むね」という言葉に込められていた。
それは、父親に期待することをやめて、自分がやるしかないと決めた、静かな諦めだった。
父親の“責任”は、妻の安心をつくること
妻の「何もしてない」という言葉の裏には、
「この人には任せられない」という不信感と、
「私が仕事を諦めるしかない」という孤独な覚悟があった。
子どもの看病は、親として当然のこと。
でも、それだけでは足りない。
父親としての責任は、妻が安心して仕事に行ける状態をつくること。
そしてそれは、日々の積み重ねでしか得られない。
家事も育児も、「やってるつもり」じゃなくて、
「任せられる存在」になること。
それが、僕が今目指している“信頼”のかたちだ。
次回予告:僕が意識を変えた具体的な取り組み
この信頼を得るために、僕がどんな行動を変えたのか。
次の記事では、妻が安心して仕事に行けるようにするために僕が取り組んだこと、
そして最終手段として祖父母を呼んだ日のことを紹介します。